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ウッドピタスタッフブログ

2015年2月21日

阪神淡路大震災で見たこと、感じたこと

みなさん、こんにちは!
ウッドピタ事業本部 東日本事業部の下永吉です。

2005年1月17日5時46分。
今から20年前に「阪神・淡路大震災」は発生しました。
20年目ということで、たくさんマスコミに取り上げられましたし、
このブログでもほかのスタッフも話題にしておりましたが、
私自身が実際体験した震災でしたので、少し古い話題ですが改めて書きたいと思います。

当時私は卒業間際の大学4回生でした。
今の会社(矢作建設工業)に就職も決まっており、学生生活最後の試験初日でした。

要領だけで乗り切った大学の勉強、例の如く一夜漬けの勉強を朝方までしており、
ちょうど1時間ほど前に布団に入った所で、激しい揺れにすぐに目を覚ましました。
関西という土地はそれまで大きな地震が起きたことも無く、関東に比べると
普段から身体に感じるような地震が起きること自体滅多にありませんでした。
関西人は地震にあまり免疫が無かったと思います。

取りあえず、少し取り乱した母に呼ばれリビングに降り、
すぐにもう一度大きな揺れが来て、揺れはひとまず落ち着きました。
経験した事のない揺れでしたが、
実家のある堺市という大阪の南部はほとんど被害もなく、
我が家も机のコップが倒れた程度でした。
その時は、まさかそんな未曾有の大地震だったとは想像すらしませんでした。

その後、母親はさすがに心配な様子で、一方私は大学の試験が中止になるかもなあ、
という程度の低い期待で逆に眠れず、二人でテレビを見続けました。
母が親戚に一通り連絡をして、ひとまず無事は確認できたことで、
少し落ち着いた気分ではありました。
しかしNHKでさえ詳細な情報もハッキリしないまま。
ただ震源地とされる神戸の震度がなかなか出てこない事に、不吉な想いがありました。

そして・・・数時間後、ご存じのように信じられない事態が明らかになりました。
映画や写真でみた大空襲の後のような光景。
とりわけ高速道路や駅前ビルが倒壊している映像は、
建設会社に身を置こうとしている私には衝撃でした。

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写真提供:神戸市/深江本町阪神高速倒壊現場(東灘区)

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写真提供:神戸市/鹿ノ下通3丁目周辺 阪神電車(灘区)

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写真提供:神戸市/磯上通5丁目付近から南を望む(中央区)

結局その日は試験中止になり、神戸や大阪北部の友人に電話したりして
一日過ごした気がします。当時は携帯もメールも一般的ではありません。
神戸に下宿している友達やいとこ、
住んでいなくてもたまたま神戸で一晩遊んでいる友達もいるかもしれません。
とにかく心配して安心する、その繰り返しでした。

私の大学は京都にあったので、翌日からは普通に試験再開。
4年生にはさほど試験もなかったので、間延びした長い試験期間中、
震災関連のテレビばっかり見ていた気がします。
当時“ニュース23”の神戸出身らしい池田キャスターが、
取材中にたまらず泣き崩れたシーンがとても印象的でした。

主に京都と大阪で活動した学生時代、
甲子園以外あまり神戸方面には行かなかったけれど、
よく知った街が、何度も目にした建物が、高速道路が崩れている姿に
私も大きなショックを受けていました。
一度、やじ馬的に神戸の大学に通う友人についてその大学まで行きました。
まだ電車も完全ではなく10㎞以上歩きましたが、
自分の軽薄さに自己嫌悪になっただけでした。

また、神戸に下宿していた中学時代の友人知人が2人犠牲になっていることも分かり、
お葬式にも行きました。
同じように4月から新社会人になるはずで、内定先の会社からも供花がありました。
あれから20年、生きていたら今頃どうしているだろう?
彼らがいなくなった実感はまだありません。
他にもたくさんの友人、妹も神戸の大学に通っていたので、
もし地震がもう少し遅かったら・・・
もっとたくさん大切な人を失っていたかも知れません。

試験が終って1週間だけボランティア活動にも参加しました。
いい経験でしたが、嫌な事、辛い事も多かったように思います。
ボランティア活動の難しさも良く分かりました。
その頃は震災から1か月以上経っていましたが、ひたすら瓦礫を運びました。
みんな基本的に笑顔でしたが、とても疲れているのはハッキリ分かります。
地震で家が無くなる、その過酷な生活状況を垣間見ました。

そして当時、イチローや田口を擁した仰木オリックスが“頑張ろう神戸”を合言葉に、
その年の95年リーグ優勝し、96年は日本一に。
嬉しくて嬉しくて、いまだにその時の記憶は鮮明です。

あれから20年。
その後知り合った方々にも神戸方面の人もたくさんいて、
辛い目にあった方も多いでしょう。
でも皆無事だったからこそ、新たな出会いに繋がり・・今こうして笑っている。
20年の時の長さを感じます。

震災の3ヵ月後入社した今の会社では、
阪神淡路大震災以降、耐震事業に力を注いでいます。
そして私もまさにその事業の最前線で仕事をさせていただいています。
仕事は大切でしっかりしていかなければいけませんが、
毎年この時期には色々な事を感じます。

亡くなられた6,434名の方、被害に会われた方、未だ苦しんでいる方・・・
きっとまだ震災は終わっていません。
この想いを持ち続け伝える事、これだけは関西人の私には一生忘れてはいけない、
必要なことだと思っています。
いや関西人は関係ないですね。
その後も、新潟中越地震、東日本大震災と、大きな地震が発生しています。
日本人全体が忘れてはいけない事です。

【神戸市被災状況及び復興への取組状況】

阪神淡路大震災では家の倒壊が無ければ、かなりの方々が助かったといわれています。
私自身、改めてこの事実を胸に刻み、皆様に木造住宅耐震補強の大切さをお伝え出来ればと願っています。

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